菰口賢一 経歴
1959年9月25日東京都出身
1983年、立教大学文学部英米文学科卒業
同年、日本コロムビア株式会社入社
研修後、東京の下町(北区、足立区、荒川区)や千葉の総武線沿線、ディズニーランドなどをレコード営業として3年半廻り、本社制作本部の洋楽部宣伝グループへ異動。6年間の宣伝プロモーターの経験を経て、1993年、洋楽部ディレクターとなる。洋楽宣伝・制作を通じてロック、ポップス、カントリー、ニューエイジ、ワールド、ジャズと幅広いジャンルをフォロー。ロックでは、PIL、ニュー・オーダー、シュガーキューブス(ビョークが在籍していたバンド)、プライマル・スクリーム、ピクシーズ、LUSH、ペイル・セインツなど、ポップス系では、デビー・ギブソン、ピーボ・ブライソン、ワークシャイ、ナタリーなど、さらにカントリーのCURBレーベルとの契約をまとめ、全米でアルバム500万枚以上のスーパーメガヒットを出していたリアン・ライムスを日本でリリース。
1999〜2001年、J-POPと洋楽部門を独立させた株式会社ヒートウェーヴ出向。
同社に於いて、日本ではマーケット展開がなかなか難しいと言われたカントリー・アーティストをリアン・ライムスで10万枚のヒットに結びつけた。
そして、約10年間の洋楽ディレクターのキャリアと人脈を活かして、社名変更したコロムビアミュージックエンタテインメントに2003年、大人のための音楽を目指した新レーベルJroomを立ち上げ、ジャズ/クロスオーバーの制作に特化していく。アキコ・グレース、MAYA、SAVOYレーベル高音質化などで文化庁芸術祭優秀賞やジャズディスク大賞などを受賞し、ジャズ・プロデューサーとしての地位を築く。Jroom制作部長を経て、2009年3月、26年勤めたコロムビアを退社し、同年8月、T&Kエンタテインメント株式会社を設立、代表取締役社長となる。
この他、コロムビア時代には、日本レコード協会の洋楽部会副幹事、洋楽宣伝専門部会幹事を務め、FMフォーラム実行委員会や横浜ジャズプロムナードジャズコンペティション審査員、さいたま新都心ジャズヴォーカルコンテスト審査員長としても積極的に活動するなど、洋楽業界発展にも尽力。また、プロデューサーとしての仕事の傍ら、声を活かして、ラジオ・パーソナリティとしても活躍、JFN、Inter-FMの番組を経て、現在はTOKYO-FMグループMUSIC BIRDの「クロスオーバ−ナイト」でパーソナリティを務めている。
音楽以外では、世田谷区消費生活審議会委員を務め、地域貢献活動も行っている。au携帯ラジオ番組「ちょいジャズ!」のDJ、シニアモデル(セントラルファッション所属)として、テレビ、WEB-CMにも出演。
2010年7月より菰口賢一ダイアログを開始。
2015年1月より東京都市大学総合研究所 応用表現研究室 共同研究員。
ラジオスタジオにてアキコ・グレースさんと
ラジオパーソナリティをやっているラジオ局の開局15周年記念コンサート
@TOKYO-FMホールで元コロムビアのアイドルタレント、島田奈央子(当時の芸名:島
田奈美)と共に司会役を務めた時の出演者、スタッフとの楽屋写真。出演者はアキコ・グ
レース、MAYA、小林香織(V社)。
発掘・デビュー当時の松本茜と
世田谷健康マラソンに参加
アキコ・グレーストリオのハイチ大地震災害救済チャリティーライブ